笹だんご物語

二、さてその由来は

笹だんごの由来はいくつかの説があります。

  • 1. 戦国の武将上杉謙信が考案したという説
  • 2. 上杉謙信の家臣が考案したという説
  • 3. 上杉謙信の家臣の菓子役人が考案したという説
  • 4. 郷土料理のようにいつからか庶民が考え作り出したという説

まず、1.の上杉謙信が考案したという説はこれを裏付ける証拠がありません。
笹に包むことで品質保持している餅菓子です。いかにも戦国時代に携帯食として用いられそうな形状。当然そのくらい古くからあったのではないかという憶測。そして、何より戦国時代であれば、郷土の英雄上杉謙信にすべて花を持たせようというむきもあるかもしれません。いつの日からかそのように伝えられるようになったのではないかと思います。

2. 3. については少し事情が違ってきます。
というのもいずれも歴史的資料が現存しているからです。
2.「北越軍記」に上杉謙信の家臣宇佐美定満の発明とあるのですが、この著者は定満の孫定祐でありこの著書自体自家や自軍を引き立てる記述が多く真偽のほどはわかりません。
3. 「北越風土記」はもう少し信憑性があります。それによると1554年(天文23年)に上杉謙信が越後の春日山城を出る際、柿崎城主に仕えていた菓子役人が、兵糧として中国のちまきをまねて考え出したというものです。とはいえ大きな問題があります。1.2.3.に共通していることですが、後述するように上越地方に笹だんご、ちまきを作り食する習慣がないという現実がこれらの説に大きく立ちふさがってきます。せっかく郷土の英雄やその家臣が開発したものを、後世に渡ってその領土にあまり伝わっていないというのはおかしなことでしょう。

4. はかなり現実味があります。笹だんごの材料は米、小豆、ヨモギ、笹、イグサでありすべて野山など手近にあるものです。また、古くからこの国の庶民=農民は米しか頼るものがなく、しかも長い間丸米=白米は特別なハレの日のものであり、日常の日に口に入れることが出来るのはくず米などしかありません。これらの加工品として生まれてきたのではないかというのは十分説得力のある説といえます。

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